朝がきて夜がきて


 友だちのMの家でお泊まり会をしています。私とMはもともと同じ部活で、私のほうは一年生のときに辞めてしまったけれどMはついこの間の秋の引退までやり通して、三年のときは全国大会にも出ていて学校の成績もよく、すでに推薦で大学への進学が決まっていておまけにかわいいので部活も辞め、勉強もできない私とだけ遊んでくれることがとても不思議なのですが、私たちはほんとうに仲がよいのです。


 Mの家は近所ではなくて、ほとんど隣町と言っていいくらい離れているのでなんだか空の色も違う気がします。私の家はアパートだから一戸建てで自分の部屋を持っているMには憧れてしまいます。Mのお父さんとお母さんは二人で小さな会社をやっているとても優しい人たちで、私のような見るからに娘に悪影響を及ぼしそうな見た目の子をいつ訪れてもあたたかく迎えてくれます。Mは私とちがって髪を染めていないしピアスもあけていません。でも、絶対に内緒だけれど、ひとくちだけたばこは吸ったことがあります。


 他の女の子たちが二人きりでお泊まり会をしたときにどうやって過ごしているのかわからないのですが、私とMは、最近見た映画のこととか、好きな音楽のこととか、小説のことを話して過ごします。Mは映画や小説にとても詳しくて、映画ならデイミアン・チャゼルタランティーノ、小説なら村上龍町田康Mの影響で好きになりました。そんな話をしながら白くて小さなソファーにもたれているとき、Mが上から私の顔を覗き込んで「かわいい」と漏らします。これはいつものことで、Mは初めて話したときから私のことをよくかわいいと言います。そっちこそかわいいじゃん。と私は返します。これもいつものこと。そうして私たちは何もなかったかのようにまたフィクションについての話に戻るのです。


 最近になって、Mと私の距離感は独特だと思うようになりました。理由はいくつか思い当たるのですが、まずひとつにMは私といるときにぜったいに学校の話や家族の話をしないのです。彼女が口にするのは常に虚構の世界のことで、その口調には現実から顔を背けているような不自然な強張りの影が見えることはまったくなくて、普段Mが身を置いているはずの生活なるものにはじめから気づいていないかのようなのです。これは私と二人きりのときだけのことで、学校でそれなりに仲のいい他の友だちと話しているときなどはみられない振る舞いです。


 もうひとつの理由として、Mの「かわいい」があります。前述のとおりMは日常の一場面でなんの前触れもなく唐突に私に「かわいい」と言います。以前はMが私に恋しているのではないかと考えたこともありますが、それはどうも違うようなのです。私はMに恋していないと思いますが、ときどき無意識に私たちのどちらかが男性だったならどういう関係になっていただろうかと考えてしまうことがあります。私たちはおなじ年頃の子たちのご多分に漏れず、夕陽の差す部屋で戯れにお互いの身体に触れ合います。私は性的な衝動を感じません。私は、Mを求めていない。


 Mと私は話すことにも疲れて、おなじ布団のなかで、黙って眼を瞑っています。Mはまだ眠っていないことが暗闇の感触で伝わります。彼女は両親に恵まれ、容姿に恵まれ、側からは順風満帆に人生を送っているように見えますが、実はその心のうちには現実から逃避するための大きな虚構の庭があって、私はそこの住人として数えられているのではないかという根も葉もない想像が私の心の中の大きな領域を占めてゆきます。理由はどうあれ、彼女はいまの現実に満たされていない。かといって、今すぐにすべてを捨て去るほど追い込まれてもいない。その宙ぶらりんの孤独は、私もよく知っています。なにもかも違う私たちがお互いに大切な存在であり続けることができるのは、Mも私のことをそう思ってくれていたらですが、偶然にも共有できたものがふたつだけあるからなのかもしれません。ひとつは生まれた場所が近いということ。ふたつ目がこのどうしようもない満たされない感覚、宙ぶらりんの孤独を飼っているということ。今こうして文章の上で言葉にしているようなことを、私とMが話しあうことはなかったし、これからもないと言い切れます。また朝がきて、夜がきても。私たちの間にあるのはいつだって映画と音楽と小説と、時折、私たちをぐるっと取り囲む日常の透明な壁にかすかなひびを入れる、断末魔のような「かわいい」だけなのです。