2021年に読んだ小説で打線組んでみた
将来の夢はうぐいす嬢のゆきです。2021年はがんばって60冊くらい読んだので、例年は3冊くらい、どれもよかったけど(つまらない小説ってないので)。打線組むならこんな感じかな、って。かなりエイヤです
1番、センター、『五分後の世界』

◼️ひとりの現代人が、日本がまだ戦争を続けている世界線に迷い込んで激しい戦闘に巻き込まれる
兵士たちの国、人間といったものに対する考え方、捉え方が端的に台詞にあらわれていて、ひりひりする。
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「戦う者はおらんのか?」
いやあんたにはわからねえだろうが、オレの言ってることは戦争をするってことじゃねえんだ、変えようとしないってことだ、誰もがみんな言いなりになってるんだよ、
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2番、セカンド、『共喰い』

◼️汚く冷たい川辺の町で育った遠馬は、愛人を犯しながら殴る父親から受け継いだ血に必死で抗おうとする
舞台は少し昔だけど、ほとんど神話みたいな話。土着的で、血縁の呪いがある。
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「俺のせいやない。俺自身がやったんじゃ。ほやけえ、俺が、殺す。」
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3番、ショート、『告白』

◼️思弁的な男、熊太郎は半端者のやくざになる。どこまでも「普通」の男だった彼は、いかにして大量殺人を犯すに至ったのか
著者一流の音楽的な文章の流れに乗せて、喜怒哀楽、そして笑いをこれでもかというほど詰め込んである。
現代日本の究極小説かもしれない。
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ただ涙があふれるばかりだった。
熊太郎の口から息のような声が洩れた。
「あかんかった」
銃声が谺した。
白い煙が青い空に立ちのぼってすぐに掻き消えた。
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4番、キャッチャー、『万延元年のフットボール』

◼️四国の村を舞台に兄の蜜とその妻、そして弟の鷹は万延元年の一揆の運命をなぞってゆく
とにかく密度がえげつない。文章が重厚で人物が重厚で歴史が重厚。読んだあとしばらくだけれど、不思議なことに、いま売られている小説の99%はこれの出来の悪い真似事にすぎないと思うようになってしまった。
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「本当の事」がおれに見きわめられていない以上、すなわちおれは死に向って最後の一蹴りをする意志の力をもまたどこにも見出さないだろう!
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続きは気が向いたら
ばいちゃ👋
朝がきて夜がきて
友だちのMの家でお泊まり会をしています。私とMはもともと同じ部活で、私のほうは一年生のときに辞めてしまったけれどMはついこの間の秋の引退までやり通して、三年のときは全国大会にも出ていて学校の成績もよく、すでに推薦で大学への進学が決まっていておまけにかわいいので部活も辞め、勉強もできない私とだけ遊んでくれることがとても不思議なのですが、私たちはほんとうに仲がよいのです。
Mの家は近所ではなくて、ほとんど隣町と言っていいくらい離れているのでなんだか空の色も違う気がします。私の家はアパートだから一戸建てで自分の部屋を持っているMには憧れてしまいます。Mのお父さんとお母さんは二人で小さな会社をやっているとても優しい人たちで、私のような見るからに娘に悪影響を及ぼしそうな見た目の子をいつ訪れてもあたたかく迎えてくれます。Mは私とちがって髪を染めていないしピアスもあけていません。でも、絶対に内緒だけれど、ひとくちだけたばこは吸ったことがあります。
他の女の子たちが二人きりでお泊まり会をしたときにどうやって過ごしているのかわからないのですが、私とMは、最近見た映画のこととか、好きな音楽のこととか、小説のことを話して過ごします。Mは映画や小説にとても詳しくて、映画ならデイミアン・チャゼルやタランティーノ、小説なら村上龍や町田康はMの影響で好きになりました。そんな話をしながら白くて小さなソファーにもたれているとき、Mが上から私の顔を覗き込んで「かわいい」と漏らします。これはいつものことで、Mは初めて話したときから私のことをよくかわいいと言います。そっちこそかわいいじゃん。と私は返します。これもいつものこと。そうして私たちは何もなかったかのようにまたフィクションについての話に戻るのです。
最近になって、Mと私の距離感は独特だと思うようになりました。理由はいくつか思い当たるのですが、まずひとつにMは私といるときにぜったいに学校の話や家族の話をしないのです。彼女が口にするのは常に虚構の世界のことで、その口調には現実から顔を背けているような不自然な強張りの影が見えることはまったくなくて、普段Mが身を置いているはずの生活なるものにはじめから気づいていないかのようなのです。これは私と二人きりのときだけのことで、学校でそれなりに仲のいい他の友だちと話しているときなどはみられない振る舞いです。
もうひとつの理由として、Mの「かわいい」があります。前述のとおりMは日常の一場面でなんの前触れもなく唐突に私に「かわいい」と言います。以前はMが私に恋しているのではないかと考えたこともありますが、それはどうも違うようなのです。私はMに恋していないと思いますが、ときどき無意識に私たちのどちらかが男性だったならどういう関係になっていただろうかと考えてしまうことがあります。私たちはおなじ年頃の子たちのご多分に漏れず、夕陽の差す部屋で戯れにお互いの身体に触れ合います。私は性的な衝動を感じません。私は、Mを求めていない。
Mと私は話すことにも疲れて、おなじ布団のなかで、黙って眼を瞑っています。Mはまだ眠っていないことが暗闇の感触で伝わります。彼女は両親に恵まれ、容姿に恵まれ、側からは順風満帆に人生を送っているように見えますが、実はその心のうちには現実から逃避するための大きな虚構の庭があって、私はそこの住人として数えられているのではないかという根も葉もない想像が私の心の中の大きな領域を占めてゆきます。理由はどうあれ、彼女はいまの現実に満たされていない。かといって、今すぐにすべてを捨て去るほど追い込まれてもいない。その宙ぶらりんの孤独は、私もよく知っています。なにもかも違う私たちがお互いに大切な存在であり続けることができるのは、Mも私のことをそう思ってくれていたらですが、偶然にも共有できたものがふたつだけあるからなのかもしれません。ひとつは生まれた場所が近いということ。ふたつ目がこのどうしようもない満たされない感覚、宙ぶらりんの孤独を飼っているということ。今こうして文章の上で言葉にしているようなことを、私とMが話しあうことはなかったし、これからもないと言い切れます。また朝がきて、夜がきても。私たちの間にあるのはいつだって映画と音楽と小説と、時折、私たちをぐるっと取り囲む日常の透明な壁にかすかなひびを入れる、断末魔のような「かわいい」だけなのです。
無題1
国語の授業は好きじゃない。大事なことを教えてくれないから。
「尾崎放哉という人、みなさんも名前くらいは知っているかもしれませんが、『咳をしても一人』で有名な方ですね、この人は実は東大法学部を出て保険会社で要職についたエリートだったんです。けれども酒癖と浪費がすごくて、無断欠勤とか借金を重ねて、遂には病気になってしまいます。彼は自由律俳句の仲間を頼って、小豆島に行き、病状が悪化するなか極貧生活を送って、ついには孤独に死を迎えます」
先生が語る。私は関係ない話だと思う。私は東大には行かないし、エリートにもならない。ここは小豆島ではなく、丘の上の小さな高校で、海は見えない。
「放哉の有名な句をいくつかあげてみましょう。『咳をしても一人』以外だと、『いれものがない両手でうける』『こんなよい月を一人で見て寝る』『春の山のうしろから烟が出だした』最後は辞世の句ですね。死ぬ前の最後の句がこれです。放哉は貧乏なくせに自堕落で、酒飲みで、島の住民にも迷惑をかけてまわったから皆から嫌われていたし、才能を理解して手を差し伸べてくれる数人の仲間がいなければとっくにのたれ死んでしまっていたはずの人でした。というか、結局、病気が取り返しのつかないくらい悪くなってしまって、のたれ死んでいるんですけれど、彼の句というのは、そんな日に日に悪化してゆく体調や経済面とは裏腹に、どんどん凄みというか、切れというか、重みというか、そういうものが増してゆくんです」
先生を見ていない。私は垣谷をみている。垣谷は私の席から見て桂馬の跳ぶ位置。眼をきらきらさせてこのつまらない話を聞いている。
垣谷と話したことはほとんどない。彼女は背が低い。眼鏡をかけている。そばかすがある。授業で寝ているところを見たことがない。三人に一人が寝ているこの教室で、ただひとりうなずきながら熱心にノートを取っている彼女は痛々しい。
気怠げなチャイムが鳴り、四限の現代文は中途半端に終わる。係の手によって、背面黒板に課題が書き足される。昼休みになる。
垣谷はひとりでお弁当を食べている。誰かとお弁当を食べているところを見たことがない。進学校だからいじめはない。進学校でなかったら、いじめられていると思う。
私は垣谷のお母さんが、朝早く起きてお弁当を作っているところを想像する。
屋上は立ち入り禁止になっているけれど、生徒会室の横にある非常階段から簡単に登れることを私は知っている。
今日、それを知っているのは私だけではないことがわかった。垣谷はコーラを片手に錆びた手摺りに体重をまかせた私と、戸惑いの色の眼で対面した。
屋上で他の生徒と会うのは初めてではない。しかし、私はそこに垣谷がいることを想像していなかったし、垣谷と屋上という組み合わせは私の脳内でとっさに不穏なイメージを作り上げた。
私たちは会話をしない。
垣谷は私が来るまで読んでいたらしい、カバーの剥がされた文庫本を膝の上にふせてじっと黙っている。
私は丘の下に灰色の町を見る。コーラをあけてひとくち飲む。
垣谷が咳をする。
咳をしても一人。つい数十分前に耳にしたばかりの自由律俳句がよみがえる。私は偶然だと思う。夕方には忘れているだろうと思う。
垣谷は私をちらちらと覗いてくる。垣谷のほうを向いていないがそれはわかる。ここに視線を持つ存在はふたつしかなくて、そのうちのひとつは私だ。
何。
私は、私から声が漏れたと思う。グラウンドから、運動部の叫ぶ声が聞こえる。
垣谷は動揺している。
私は、垣谷をめちゃくちゃにしてやりたいと思う。私は、私がコーラの缶に爪を立てていることに気がつく。
垣谷が狼狽えながら話しかけてくる。
彼女の声は届かない。
私は垣谷が犯されているところを想像する。いれものがない両手でうける。私は偶然だと思う。私は必然だと思う。こんなよい月を一人で見て寝る。私は垣谷を卑屈だと思う。私は、垣谷をめちゃくちゃにしてやりたいと思う。春の山のうしろから烟が出だした。
私は、垣谷を不幸だと定義する。よって私は、私を幸福だと結論づける。私は、私は私を幸福だと思っていると思う。
垣谷は会話することを諦め、錆びた手摺りに袖を預ける。あと何ヶ月かして、この学校を卒業する。もう会うことはないと思う。
私はひとりで屋上にいる。
丘の下には私たちの町が静かに午後を待っていて、私はその灰色が海に似ていると思う。